どこの国でも同じように、思春期というものはお友達とのトラブルを少なからず抱えるものです。
それは大人になる過程で避けられないものであり
人間関係という社会を構築していく上で、学生時代に学ぶ重要なものの1つではないでしょうか。
ケンカ1つをとっても、日本とアメリカの文化の違いが色濃く出るな~と思った体験を、娘とお友達のケンカを通して感じることができたので
少しシェアしてみたいと思います。
親友の定義とは
「あなたは私のBFFね!」
娘がロンドンの現地校へ行き始めてすぐ
仲良くなったイギリス人女子に言われた言葉。
親友と思ってくれてるんだ~と娘は大変喜びましたが、ある日突然、
「あなたはもう私のBFFじゃないわ」
と言われたと落ち込んで帰ってきました。
日本的なニュアンスだと、
なんて思い、かなり焦り、落ち込んでいました。
しかし翌日仲直りした後、
「やっぱりあなたは私のBFFだわ!」
と一変。日ごとに変わる対応に最初の頃は振り回されていましたが、そんなものとして受け取るようになってからは心が随分ラクになったようです。
言葉に出して確認し合う
気付いたのは、とにかく「言う」ということでした。
日本では「私たちって親友だよね?!」といちいち確認をするでしょうか。
それが言わずもがな察すること(=文化)として幼い頃からなんとなく養っていきます。
そしてケンカのたびに絶交するわけもなく、互いに距離を置き、相手がどう言う気持ちでいるかを感じ合い、そして何かがきっかけで徐々に仲直りしていく。
小学生のケンカなんてそんなもんの繰り返し。
- 互いにどんな気持ちでいるかを感じ合える文化。
- 価値観がかけ離れていない個々が言葉なくとも察することができる文化。
これは海外にいると
日本スゴイ!と思う大きな点です。
しかし欧米ではいろんなナショナリティの人がいていろんな価値観がある。
そんな国ではいちいち言葉にしなければ、相手の気持ちなんてわからないのです。
わかって欲しければ言う、そして知りたければ聞く。
単純でわかりやすいのですが、日本人には少々戸惑うのが現実です。
とにかく思ったことを相手に伝えまくるアメリカ女子
幼い頃からディスカッションやディベートに慣れ親しんできているアメリカ人。
自分の考えを堂々と述べることについては本当に感心するばかりです。
BFFであろうがなかろうが、まくし立てるように自分の意見を主張してきます。
娘曰く、入る隙間もないもよう。
ここで娘はネイティブ並みの英語力が足りないのと、自分の意見を堂々とぶつけることに慣れていない日本文化が浮き彫りになります。
最近ではミドルスクールにもなるとみんな携帯を持っていて、
ケンカは学校から帰ってTEXT(チャット)でも発生します。
グループチャットでマシンガンのように言い合うアメリカ女子達。
もちろん傍観している子もいれば、仲裁に入ろうとする子もいます。
もし、このグループのケンカが全員日本人だった場合、修復不可能級のケンカだろうな~と眺めています。
主張することが一概にいいことだとは言えません。
日本人は自分の主張が後回しと言ってしまえばそれまでですが、
相手のことを重んじる文化がゆえ、日本人は人当たりがとてもソフトに感じます。
自分最高!親友だけど ”めんどくさい” は 発生する
アメリカ人の「自分最高!」説は例え親友においても発生します。
娘が宿題のことについてわからないところがあり、BFFなるアメリカ人のお友達にTEXTすると
決まって「Idk」と返ってきます。
Idk=I don’t know.
知~らないっ。といったニュアンスでしょうか。
娘は私に聞きます。
私もそう思いました。
気になったので、私のアメリカ人の友人に聞いてみることにしました。
そうすると、彼女は
なんて言うものだから、娘に同じ質問をチャイニーズのお友達にもしてみるよう促してみました。
するとやはりIdkとは返ってきませんでした。
- 「私はまだ授業でそこまで到達していないからよくわからないわ、ごめんね。」
- 「私とは違う宿題だからわからないよ、ごめんね。」
といった丁寧なものでした。
気になったので、ミドルスクールに娘が行っているママ友にもヒアリング。
すると、
そんな意見が返ってきました。
ここまで顕著に違ってくると、面白くなります。
文化というものを理解していなければ、ただただ腹立たしかった件も、
その背景を理解すると面白さすら感じてきます。
当の本人(娘)は傷付いたり振り回されたりもするんですが、と同時に文化も学んでいるとして…
彼女が成長していることを親としてフォローしてあげたいと思います。
最後まで読んでいだだきありがとうございます😊
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